兜塚古墳 (磐田市)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/08 00:00 UTC 版)
兜塚古墳 | |
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![]() 墳丘 |
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所在地 | 静岡県磐田市見付 (かぶと塚公園内) |
位置 | 北緯34度43分35.70秒 東経137度50分47.02秒 / 北緯34.7265833度 東経137.8463944度座標: 北緯34度43分35.70秒 東経137度50分47.02秒 / 北緯34.7265833度 東経137.8463944度 |
形状 | 円墳 |
規模 | 直径80m 高さ8m |
埋葬施設 | 不明 |
出土品 | 銅鏡・玉類・大刀・埴輪 |
築造時期 | 5世紀前半 |
史跡 | なし |
特記事項 | 円墳としては静岡県第1位の規模 |
地図 |
兜塚古墳(かぶとづかこふん)は、静岡県磐田市見付にある古墳。形状は円墳。史跡指定はされていない。
概要
静岡県西部、磐田原台地西南端の段丘上に築造された大型円墳である。「兜塚」の名称は、側面が兜を伏せた形に似ることに由来する[1]。戦時中の塹壕掘削時に副葬品が出土し、戦後の建物設置などで墳丘は改変されているほか、数次の調査が実施されている。
墳形は円形で、直径80メートル・高さ8メートルを測り、円墳としては静岡県内最大規模になる[1]。墳丘は2段築成で、中段テラスは幅広い平坦面を呈する[1]。墳丘外表では多数の礫や埴輪片が認められるが、調査では葺石は明確には確認されていない[1]。墳丘周囲では、東側において幅1メートル・深さ数十センチメートル程度浅い周溝が確認されている[1]。埋葬施設は未調査のため明らかでないが、石・粘土が認められないことから、石室ではないとみられる[1]。墳頂部における塹壕掘削時に、銅鏡・玉類・大刀が出土している[1]。
築造時期は、古墳時代中期の5世紀前半頃と推定される[2]。一帯には観音山古墳・兜塚古墳・土器塚古墳・京見塚古墳などの古墳が分布しており、遠江国造の土師氏との関連性が示唆される[3]。
現在ではかぶと塚公園内で保存されている。
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墳頂
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墳丘上段
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墳丘テラス
遺跡歴
- 1944年(昭和19年)、墳頂部における塹壕掘削時に副葬品出土[1]。
- 戦後、静岡大学農学部の設置の際に、墳丘上に建物設置[1]。
- 1959年(昭和34年)、墳丘測量調査[1]。
- 1978・1986・1987年(昭和53・61・62年)、環境整備に伴う墳丘裾部の発掘調査[1]。
- 2016・2017年度(平成28・29年度)、第4・5次調査(磐田市埋蔵文化財センター、2018・2019年に報告)。
出土品
戦時中の墳頂部における塹壕掘削時に出土した副葬品は次の通り[1]。
- 仿製三神三獣鏡 1 - 直径20.0センチメートル。表面に布痕跡・朱が付着する[4]。
- 玉類
- ガラス小玉 16
- 棗玉 2
- グリーンタフ製管玉 31
- 碧玉製?管玉 1
- グリーンタフ製勾玉 2
- 碧玉製勾玉 1
- 大刀 2 - 現在は所在不明。
関連施設
- 磐田市埋蔵文化財センター(磐田市見付) - 兜塚古墳の出土品を保管。
脚注
参考文献
(記事執筆に使用した文献)
- 史跡説明板(磐田市教育委員会文化財課、2007年設置)
- 川江秀孝「兜塚古墳」『日本古墳大辞典』東京堂出版、1989年。ISBN 4490102607。
- 「兜塚古墳」『磐田市史』 史料編1 考古・古代・中世、磐田市、1992年。
関連文献
(記事執筆に使用していない関連文献)
- 平野和男「磐田市一本松かぶと塚古墳出土遺物について」『古代学研究』第26号、古代学研究会、1960年11月20日。
- 『静岡県史』 資料編2考古2、静岡県、1990年。
- 磐田市埋蔵文化財センター 編「兜塚古墳」『静岡県磐田市 市内遺跡発掘調査報告書』磐田市教育委員会〈平成28年度国庫及び県費補助事業に伴う市内遺跡発掘調査等事業〉、2018年。
- 磐田市埋蔵文化財センター 編「兜塚古墳第5次」『静岡県磐田市 市内遺跡発掘調査報告書』磐田市教育委員会〈平成29年度国庫及び県費補助事業に伴う市内遺跡発掘調査等事業〉、2019年。
外部リンク
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