土器塚古墳
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土器塚古墳 | |
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![]() 墳丘 |
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別名 | 丸山 |
所在地 | 静岡県磐田市中泉・国府台 |
位置 | 北緯34度43分9.95秒 東経137度50分36.67秒 / 北緯34.7194306度 東経137.8435194度座標: 北緯34度43分9.95秒 東経137度50分36.67秒 / 北緯34.7194306度 東経137.8435194度 |
形状 | 円墳 |
規模 | 直径36m 高さ5m |
埋葬施設 | 不明 |
出土品 | 管玉・短甲 |
築造時期 | 5世紀前半 |
史跡 | 静岡県指定史跡「土器塚古墳」 |
地図 |
土器塚古墳(かわらけづかこふん)は、静岡県磐田市中泉・国府台(こうのだい)にある古墳。形状は円墳。静岡県指定史跡に指定されている。
概要
静岡県西部、磐田原台地西南端の段丘上に築造された大型円墳である。「土器塚」の古墳名は、一帯の戒成皇子(海上皇子)伝説の中で、皇子や従者が土器を捨てて塚になったとする伝承に由来し、現在は「丸山」とも通称される[1]。2000年度(平成12年度)に発掘調査が実施されている。
墳形は円形で、直径36メートル・高さ5メートルを測る[1][2]。墳丘の下部1/3は地山の削り出しにより、上部2/3は盛土による[1]。墳丘周囲には幅7メートル・深さ1メートルの周溝が巡らされる[1]。埋葬施設は明らかでないが、墳頂部において東西主軸の長さ7-8メートル・幅1メートルの墓坑が認められており、周辺で管玉1点・長方板革綴短甲片が確認されている[1][3]。
築造時期は、古墳時代中期の5世紀前半頃と推定される[1][2]。一帯には観音山古墳・兜塚古墳・土器塚古墳・京見塚古墳などの古墳が分布しており、遠江国造の土師氏との関連性が示唆される[1][2]。
古墳域は2002年(平成14年)に静岡県指定史跡に指定されている。
遺跡歴
- 2000年度(平成12年度)、発掘調査(磐田市埋蔵文化財センター、2002年に報告)。
- 2002年(平成14年)5月、所有者から市へ墳丘部分の寄贈。
- 2002年(平成14年)12月10日、静岡県指定史跡に指定。
文化財
静岡県指定文化財
- 史跡
- 土器塚古墳 - 2002年(平成14年)12月10日指定。
関連施設
- 磐田市埋蔵文化財センター(磐田市見付)
脚注
参考文献
(記事執筆に使用した文献)
関連文献
(記事執筆に使用していない関連文献)
- 磐田市埋蔵文化財センター 編『土器塚古墳確認調査報告書』磐田市教育委員会、2002年。
外部リンク
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