保科正純
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/01 07:35 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動保科 正純(ほしな まさずみ)
- 保科正純 (会津藩) - 会津藩主保科正之の五男。会津松平家(当時は保科姓)の人物。
- 保科正純 (淡路守) - 江戸時代中期から後期の旗本。保科主水家3代当主。
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保科 正純
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/24 19:50 UTC 版)
「保科正純 (淡路守)」の記事における「保科 正純」の解説
元文2年5月28日(1737年6月24日))は、江戸時代中期から後期の江戸幕府旗本寄合席。飯野藩主家分家の旗本保科家の第3代当主。諱は正純。幼名は傅次郎。通称は宮内、内記、甚四郎。官位は従五位下・淡路守。養父は保科正静、実父は岡部勝政(丹波守)、実母は渡辺綱貞(大隅守)の女。正室は保科正静養女(沼間清氏の娘)。子は保科正勝、娘(大久保教房妻)、保科正倫、岡部経盛など3男2女。国目付や山田奉行を勤める。石高は上野国群馬郡・吾妻郡のうち2500石。
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