佐藤伝蔵 (地質学者)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 佐藤伝蔵 (地質学者)の意味・解説 

佐藤伝蔵 (地質学者)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/10 06:57 UTC 版)

佐藤 伝蔵(さとう でんぞう、1870年5月15日明治3年4月15日) - 1928年昭和3年)8月26日、正字体表記:佐藤 傳藏)は、日本地球科学者。専門は地質学鉱物学

経歴

現在の熊本県熊本市に生まれる。1892年(明治25年)23歳の時、第五高等中学校を卒業し、帝国大学理科大学地質学科に入学し[1]、地質鉱物学・人類学を研究する[2]

1893年(明治26年)、東京地質学会の創立に関わり、機関誌『地質学雑誌』創刊号の巻頭言を執筆する[2]

1895年(明治28年)26歳の時、帝国大学理科大学地質学科を卒業し、1898年まで理科大学助手(人類学教室、坪井正五郎教授)を務める(帝国大学は1897年に東京帝国大学に改称)。その間、国内各地を旅行し、人類学や考古学の研究をする。一方、1897年から1898年の間、学習院で地文学を講義した[2]

同年東京高等師範学校講師を経て教授となり、逝去まで地質学・鉱物学の研究・教育を行う。この間、学習院教授・東京帝国大学講師・地質調査所技師などを兼任。地質図幅の作成に尽力したほか、火山温泉珪藻土[3]の調査・研究でも業績を残した。多くの教科書を執筆し、黎明期の日本の地質学・鉱物学の発展に多大の貢献をしたことが特筆される。

諏訪湖畔にて客死した[4]。満58歳没。

栄典

主な編著書

  • 『地質學』博文館、1898年。
  • 『大鑛物學』六盟館、1918年。
  • 『岩石地質學』六盟館、1923年。
  • (山﨑直方との共編)『大日本地誌全10巻』博文館、1904年 - 1915年。

脚注

  1. ^ 山崎直方と同級
  2. ^ a b c 岡田俊裕著『日本地理学人物事典 [近代編1 ]』原書房、2011年、177頁。
  3. ^ 佐藤傳藏「本邦産珪藻土一斑」、『地質調査所報告』、31巻、1〜41頁、地質調査所、1911年。
  4. ^ 岡田俊裕『日本地理学人物事典 [近代編1 ] 』原書房、2011年、183頁。
  5. ^ 『官報』第3509号「叙任及辞令」1924年5月7日。

参考文献

  • 地学団体研究会(編)『新版地学事典』、項目「佐藤伝蔵」、平凡社、1996年。

関連項目

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「佐藤伝蔵 (地質学者)」の関連用語

佐藤伝蔵 (地質学者)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



佐藤伝蔵 (地質学者)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの佐藤伝蔵 (地質学者) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS