佐々木裕美とは? わかりやすく解説

佐々木裕美

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/17 16:39 UTC 版)

佐々木裕美
基本情報
国籍 日本
出身地 山口県
生年月日 (1979-10-03) 1979年10月3日(44歳)
身長 162cm
体重 44kg
血液型 O型
選手情報
所属 山口支部
登録番号 4045
登録期 85期
級別 B1級
特徴 自在
選手実績
デビュー日 1999年11月10日
主要獲得タイトル
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佐々木 裕美(ささき ひろみ、1979年10月3日 - )は、山口県出身のボートレーサー。登録番号4045。身長161cm。血液型O型。85期。山口支部所属。夫は坂谷真史(事故により死別)。師匠は小林昌敏。

来歴・人物

  • 山口県立柳井工業高等学校(統合により廃校)卒業。
  • 1999年11月10日下関競艇場でデビュー(一般競走1日目第1レース3号艇進入6コース、2着)[1]
  • 2000年8月30日丸亀競艇場の一般競走「コカコーラカップ」1日目第1レースにて初勝利。(デビュー9ヶ月目、116走目)。
  • 2002年9月8日津競艇場の「G3第19回クイーンカップ女子リーグ戦」競走で初優出(5号艇進入6コース、選責失格)。
  • 2003年5月26日唐津競艇場の「西日本スポーツ杯争奪G3女子リーグ戦」競走にて初優勝(3号艇進入6コース、決まり手は捲り)。
  • 2004年3月2日多摩川競艇場で開催の「第17回JAL女子王座決定戦競走」でG1初出場。
  • 同年3月4日、3日目の第12レースにて記念初勝利(3号艇進入3コース、決まり手は捲り差し)。
  • 同年10月12日、出場予定だった津競艇場で開催の「G3第21回クイーンカップ女子リーグ戦」を初日から欠場。その後、坂谷真史と入籍し福井支部に移籍、産休。
  • [[2006年]1月13日、多摩川競艇場で開催のオール女子戦にて競走復帰。翌1月14日の2日目のメインレース(12R)で日高逸子横西奏恵らを相手に産休明けの初勝利を飾った(5号艇進入5コース、決まり手はツケマイ)。
  • 2007年2月26日、出場予定だったJAL女子王座決定戦競走の前日検査で徳山競艇場入りしていたが、住之江競艇場のGIで夫の坂谷が転覆し、大阪市立総合医療センターへ搬送されるとの一報を受け急遽欠場。欠場手続き後に直ちに病院に駆けつけたが、死に際に間に合わなかった。これを機に故郷の山口に戻り、山口支部の選手として、またシングルマザーとして再スタートを切った。自身のTwitterには2011年6月のアカウント開設当時のプロフィールにシングルマザーと明記されていた。
  • 同年10月13日、夫の事故現場であった住之江競艇場で復帰を果たす。同16日、復帰後初勝利。
  • 2008年7月17日、夫の地元水面であった三国競艇場で開催の女子リーグ戦で復帰後初優勝を飾る。
  • 2009年3月3日尼崎競艇場で開催の第22回JAL女子王座決定戦競走に5年ぶりに出場した。
  • 同年5月26日福岡競艇場で開催の第36回笹川賞競走でSG初出場。同年5月30日、5日目の第7レースにてSG初勝利(6号艇進入5コース、決まり手は捲り差し)。3連単の配当はSGレース史上最高額である199,840円を記録した(2009年当時。2016年12月25日SG第31回グランプリシリーズ最終日の第5レースにて記録した配当252,220円が現在の最高額)。

脚注

関連項目

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