佐々木玄龍とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 佐々木玄龍の意味・解説 

佐々木玄龍

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/04 04:07 UTC 版)

佐々木玄龍(ささき・げんりゅう、慶安3年8月27日1650年9月22日) - 享保8年2月22日1723年3月28日))は江戸時代初期の書家。名は玄龍、字は煥甫、通称は萬治郎、池庵と号す。弟の文山も書家である。

略伝

江戸で生まれる。幼少より書の修行に励み、「象體の字」を得意とする。天和2年(1682年)、来日した朝鮮通信使の一行と詩文をやりとりし、正徳元年(1711年)7月から幕府に仕え、この時と享保4年(1719年)9月にも朝鮮通信使の接待を任されている。享保6年(1721年)6月25日に致仕。享保8年(1723年)に病を得て没す。享年74歳。武州三縁山(増上寺)浄運院に葬る。現墓所は青山霊園(2イ11-34)。法号は「領春院興誉琉霊玄龍居士」[1]

書法

書家の細井九皋は『墨道私言』で玄龍と弟の文山は朝鮮の書法を学んだ、と書いている。玄龍自身は孟魯軒という清国人の書を蔵しそれを学んだという。細井広沢は孟魯軒はおそらく朝鮮の人で、玄龍の書は趙孟頫を尊重していた朝鮮人に似ると評す。『東川筆記』という文献には、玄龍は長崎の訳司・林道栄の門人であったと書かれている[2]

玄龍の門人として宝井其角・後藤仲龍などがいる。

脚注

  1. ^ 三村竹清『近世能書傳』二見書房、1930年、88-89頁。 
  2. ^ 三村竹清『近世能書傳』二見書房、1930年、93-94頁。 


このページでは「ウィキペディア」から佐々木玄龍を検索した結果を表示しています。
Weblioに収録されているすべての辞書から佐々木玄龍を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
 全ての辞書から佐々木玄龍を検索

英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「佐々木玄龍」の関連用語

佐々木玄龍のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



佐々木玄龍のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの佐々木玄龍 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS