伊達成実による記述
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 13:41 UTC 版)
伊達成実の『伊達日記』(『成実記』、『政宗記』)によると、「1596年(慶長元年)豊臣秀吉の伏見城築城の折に伊達政宗が御座船を献上し喜んだ秀吉から光忠を下賜され、翌日政宗が拝領した刀を差していると秀吉が小姓に命じて追いかけさせたが結局下賜した」という記述が遺されている。この事件は『伊達治家記録』にも記載された。この逸話は真田増誉著『明良洪範』に収録され、さらに『刀剣録』でも引用され燭台切の逸話と同じ段落で続けて記載されている。 高瀬真卿は、『伊達日記』の記述にある光忠が後の燭台切光忠であるとして原田道寛や福永酔剣もこの説をとったが、政宗は光忠の刀を複数所有しており同一と断定できる史料ははっきりしない。
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