伊文神社とは? わかりやすく解説

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伊文神社

読み方:イモンジンジャ(imonjinja)

教団 神社本庁

所在 愛知県西尾市

祭神 素盞嗚尊 ほか

神社名辞典では1989年7月時点の情報を掲載しています。

伊文神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/09 06:22 UTC 版)

伊文神社

拝殿
所在地 愛知県西尾市伊文町17
位置 北緯34度52分12.8秒 東経137度3分26.6秒 / 北緯34.870222度 東経137.057389度 / 34.870222; 137.057389座標: 北緯34度52分12.8秒 東経137度3分26.6秒 / 北緯34.870222度 東経137.057389度 / 34.870222; 137.057389
主祭神 素戔嗚尊大己貴命文徳天皇
社格 郷社
例祭 西尾祇園祭:7月中旬
地図
伊文神社
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伊文神社(いぶんじんじゃ)は、愛知県西尾市伊文町(いぶんちょう)にある神社

名鉄西尾線西尾駅の北方、西尾口駅の西方に鎮座している。

祭神

歴史

平安時代文徳天皇の皇子・八條院宮が、渥美郡伊川津の地から当地へ転住する際に、屋敷の東西に祀られていた、天王社(現・伊文神社)と八幡社(現・御剱八幡宮)を遷座したのが起源とされる[1]

当初は宮町(伊文〈いも〉)に祀られていたが、元亨年間(1321年-1324年)に現在地(伊文山〈いもやま〉)に遷座した[2]

社名も天王社から、伊文山天王(いもやまてんのう)、伊文山牛頭天王(いもやまごずてんのう)、伊文社(いもんしゃ)、伊文天王(いもんてんのう)等と呼ばれ、明治元年から現在の伊文神社になった[2]

文化財

義倉蔵

市指定文化財

  • 義倉蔵(史跡)[3] - 江戸時代後期に建てられた[4]

市指定有形民俗文化財

  • 祇園(天王)祭りの神輿と御旅所 - 明和4年(1768年)、京都の桑島作右衛門によって神輿が製作された。

脚注

  1. ^ 由緒 - 伊文神社
  2. ^ a b 境内由緒書
  3. ^ 市指定の文化財一覧 西尾市
  4. ^ 義倉蔵 西尾市

外部リンク



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