仁義佛立講開拓団とは? わかりやすく解説

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仁義佛立講開拓団

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/06 06:18 UTC 版)

仁義佛立講開拓団(じんぎぶつりゅうこうかいたくだん)は、東京材木町(現・東京都港区)にあった乗泉寺[注釈 1]の信徒が結成した満蒙開拓団1945年昭和20年)8月25日満州国竜江省(現・中華人民共和国黒龍江省)において同開拓団の避難民約680人がソ連軍と中国人暴民に襲撃され、避難民多数が虐殺された。8月14日の葛根廟事件、8月17日の東京荏原開拓団の遭難 (双明子事件)、8月25日の仁義佛立講開拓団の遭難 (洮南西方20キロ) とを併せて、「総省三大遭難事件」[3][4]、「興安三事件」[5]、「興安省における三大遭難事件」[6]と呼ぶ。


注釈

  1. ^ 妙證山乘泉寺: 櫻田町本門法華宗京都妙蓮寺末。元和年中小田家臣兒島勘兵衛、芝西久保に一小庵を創設し本山の學徒實證院日周大徳を住持とす。後幕命に依つて現地に移つた。享保六年二月七日火災に罹り焼失し、本山二十世の信入院日崇の手に依つて中興された。當寺は大正初年より本門佛立講東京第二支部として弘通發展し、境域遂次擴張の上昭和八年に至り隣接の臨済宗妙心寺派大法寺境内を全部買収し、遂に總工費五十餘萬圓の大伽藍を營むに至つた[1][2]

出典

  1. ^ 東京市麻布區篇『麻布區史』東京市麻布區、昭和十六年三月、八六二~八六三頁
  2. ^ デジタル版 港区のあゆみ 『麻布区史』8384
  3. ^ 外務省アジア局第五課「興安総省概況 (満洲省別概況第一三号) 昭和二十七年六月」加藤聖文監修・編集『海外引揚関係資料集成 (国外篇)』ゆまに書房、2002年5月31日 発行、ISBN 4-87802-097-0、25頁。
  4. ^ 満蒙同胞援護会編『満蒙終戦史』河出書房新社、昭和三十七年七月二十日発行、134頁。
  5. ^ 終戦前後の満洲における惨劇、中国帰国者定着促進センター。
  6. ^ 中山隆志『満洲 - 1945・8・9 ソ連軍進攻と日本軍』国書刊行会、平成2年8月25日発行、ISBN 4-336-03167-3、410頁。


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