仁科とマキノ省三
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 02:27 UTC 版)
「もともと技術畑だった」という仁科監督は、マキノ省三に言われて映画監督となったが、仁科はその理由について「当時マキノの大将は一ヌケ二スジでしたから技術畑の私を認めてくれたのでしょう」と語っている。「一ヌケ二スジ」とはマキノ省三の造語で、「一ヌケ」とはまず画面が鮮明であること(キャメラ)、「二スジ」とは物語の筋(シナリオ)のことで、続いて「三ドウサ」、つまり動作、俳優の演技と続く名言である。マキノは当初「一ヌケ二スジ」と言ったが、大正末年からは「一スジ二ヌケ」と変わった。 マキノ省三は現在価値で数百万の紙幣の入った鰐革の鞄を持ち歩いていて、一度中身を全部出すので、何事かと仁科が見ていたところ、「おい仁科、監督昇進の祝にこれお前にやるわ」と言われた。仁科は「魂消て逃げました」といい、「なんという太っ腹な人だとすっかり心を掴まれた」という。
※この「仁科とマキノ省三」の解説は、「仁科熊彦」の解説の一部です。
「仁科とマキノ省三」を含む「仁科熊彦」の記事については、「仁科熊彦」の概要を参照ください。
- 仁科とマキノ省三のページへのリンク