人工的に曲げられた川
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/15 15:14 UTC 版)
江戸時代以前、中島川は西浜町から新地町の側を流れて海へと流入していた。このとき川から運ばれた土砂が溜まるため、江戸時代には絶え間なく浚渫工事が行われていた。しかし明治時代になってから浚渫工事が行われなくなり、河口へ流れた土砂が出島にあった長崎税関付近の港湾主要部を埋めるようになった。問題解決のため当時の県令北島英朝により中島川の整備工事が行われ、1890年(明治23年)より中島川は流路を曲げて江戸町と出島の間を経由し港湾不要部へ流入するようになった。このとき、出島岸壁の埋め立て工事が行われ、出島は市街地と陸続きになった。
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