井手友氏
時代 | 戦国時代 |
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生誕 | 天文7年(1538年) |
死没 | 永禄12年9月15日(1569年10月24日) |
別名 | 勘七、勘右衛門 |
戒名 | 雲光院殿高嶽了智大居士 |
主君 | 黒田職隆、孝高 |
氏族 | 黒田氏、井手氏 |
父母 |
父:黒田重隆、母:妻鹿氏の娘? 養父:井手光昌 |
兄弟 | 黒田職隆(識隆)、小寺休夢、友氏、松井重孝 |
子 | 友正 |
井手 友氏(いで ともうじ)は、戦国時代の武将。勘七、勘右衛門[1][2]。
生涯
天文7年(1538年)、小寺氏の家臣・黒田重隆の子として誕生。兄に黒田職隆、小寺休夢、弟に松井重孝がいる[1]。
高倉城主・井手左近将監光昌の養子となる[1]。長兄・職隆や甥・孝高に仕えた。
永禄12年(1569年)の土器山の戦いにて戦死した[2]。その後、井手家の子孫は代々福岡藩士となった。
関連作品
脚注
参考文献
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