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于敏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/24 06:20 UTC 版)

于 敏
生誕 (1926-08-16) 1926年8月16日
中華民国 直隷省寧河県
死没 (2019-01-16) 2019年1月16日(92歳没)
中国北京市
居住 北京市
国籍 中国
研究分野 核物理学核兵器
研究機関 中国科学院近代物理研究所
出身校 北京大学
主な業績 中国の「水爆の父」
主な受賞歴 国家最高科学技術賞(2015年)
改革開放の先導者(2018年)
共和国勲章(2019年)
プロジェクト:人物伝
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于 敏(う びん、拼音: Yú Mǐn1926年8月16日 - 2019年1月16日)は、中華人民共和国核物理学者、中国科学院の院士。機密保持のため名前を伏せながら長年水爆の理論研究に従事。1967年の水爆実験成功に貢献。中国の「水爆の父」といわれる[1]

略歴

1926年8月16日に直隷省寧河県芦台鎮で生まれ、天津木斎中学校、耀華中学校に経て、1944年に北京大学工学部に入学。1946年に理学部に移り、理論物理学を専攻し、1949年に卒業。その後、北京大学の大学院で研究を続けた[2]

1951年から1965年まで中国科学院現代物理研究所で勤務。1965年に、第二機械工業部第九研究設計院(現中国工程物理研究院)に移転、理論研究所副所長、所長、副院長などを歴任。1980年に中国科学院の学部委員(院士)に選出された。1985年8月に中国共産党へ入党[3]

2019年1月16日逝去[4]。92歳没。

受賞歴

(中国政府による賞)

脚注

  1. ^ 中国初の「国家勲章」の候補者決まる 政府が求める「模範国民」とは?”. AFPBB News (2019年9月6日). 2019年10月2日閲覧。
  2. ^ 中国“氫弾之父”于敏:従名字絶密到解禁” (中国語). 新浪 (2009年8月19日). 2019年10月7日閲覧。
  3. ^ 于敏院士” (中国語). 中国科学院 (2019年1月16日). 2019年10月7日閲覧。
  4. ^ 于敏氏死去=中国「水爆の父」”. 時事通信社 (2019年1月16日). 2019年10月7日閲覧。
  5. ^ a b 改革先鋒于敏去世 曾“隠身”長達三十年之久” (中国語). 新華網 (2019年1月16日). 2019年1月16日閲覧。
  6. ^ 中国改革友誼奨章獲得者” (中国語). 新華網 (2018年12月18日). 2019年10月7日閲覧。



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