了源上人遭難の地
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/21 17:05 UTC 版)
「桜峠 (三重県)」の記事における「了源上人遭難の地」の解説
1335年(建武2年)12月8日、佛光寺・興正寺7代目の宗主、了源上人が弟子の善了とともに殺害された。上人は流れる血で自らの衣に「我の死は宿業のあらわれである。この者を罪してはならない。心改め懺悔する気持ちがあるから、よく後生の道を教えよ」と書いて西に向かって合掌し、念仏を唱えつつ亡くなったという。伊賀市指定文化財。 桜峠の名前の由来は、了源上人が亡くなった際、積雪が鮮血で染まり、桜のように見えたことにちなむという説や元々の地名という説がある。
※この「了源上人遭難の地」の解説は、「桜峠 (三重県)」の解説の一部です。
「了源上人遭難の地」を含む「桜峠 (三重県)」の記事については、「桜峠 (三重県)」の概要を参照ください。
- 了源上人遭難の地のページへのリンク