久田吉之助が帝国ホテルの仕事を請け負った経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/29 10:01 UTC 版)
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1915年(大正4年)、帝国ホテルに建て替えの設計を依頼されたフランク・ロイド・ライトは、アメリカ製の黄色いスクラッチ煉瓦(スダレ煉瓦)の実物見本と、穴抜煉瓦の青写真を送ってきた。アメリカ製は高価であったため、国産しなければならなかったが、当時日本で焼かれていた煉瓦は赤色系がほとんどであった。帝国ホテルは困惑したが、重役・村井吉兵衛が自らの別荘(現・長楽館)のタイルが黄色系であることを思い出した。そのタイルを焼いた久田吉之助の名が浮上し、1917年(大正6年)早春、久田は上京して帝国ホテル支配人・林愛作との面談ののち、スクラッチ煉瓦を発注されることとなった。来日中のフランク・ロイド・ライトも自ら常滑におもむき、久田吉之助が推薦する煉瓦原料粘土山を視察している。
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