久保田耕平
久保田耕平の俳句 |
「反日」や涙とともに米の味 |
八月や軍港に影佇つてゐる |
天高し体温のある鳥が飛ぶ |
思ひ出が壊れてゐたる春の家 |
東京を漂うてゐる冬の傘 |
久保田耕平
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/03 23:47 UTC 版)
久保田 耕平(くぼた こうへい、1979年 - )は、日本の実業家、浮月楼(株式会社浮月)代表取締役社長[1][2]。
人物・経歴
1979年、静岡市で老舗料亭「浮月楼」の家に久保田学の息子として生まれる[1][2]。
2002年3月、立教大学観光学部観光学科を卒業後、ヨーロッパ、アフリカ、アメリカ、アジアなど、約20カ国を巡り、見識を深める。東京・築地での就業後、2008年、「浮月楼」へ入社[1]。
2018年、専務取締役に就任。2021年4月、叔父・久保田隆より社長職を引き継ぐ[2]。浮月楼は、江戸幕府第十五代将軍徳川慶喜が1869年(明治2年)から20年以上も暮らした屋敷跡地にある。同時に、渋沢栄一が日本初の株式会社「商法会所」を設立した場所であり、初代内閣総理大臣である伊藤博文が静岡に来た際に、園遊会が催されるなど多くの名士が愛した由緒ある地である[3]。
老舗の経営者として、日本文化への造詣の深さを活かし、婚礼に加えて、能楽師、華道家、茶道家、陶芸家といった文化人たちのパフォーマンスイベントなど、宴の場づくりを多く提案している[1]。
脚注
固有名詞の分類
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