主な武家法
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/20 00:31 UTC 版)
名前は制定者、西暦は制定年 御成敗式目(北条泰時、1232年) 建武式目(足利尊氏、1336年) 分国法(各地の戦国大名が制定) 武家諸法度(徳川秀忠-考案者は徳川家康、1615年)日本最後の武家法。発布当初は御成敗式目、建武式目と内容はそこまで大差はなかったが違反者は厳しく罰せられた武家法だったので、江戸時代は全国の大名を統制することができた。
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