中河幹子とは? わかりやすく解説

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中河幹子

読み方なかがわ きみこ

歌人共立大教授。明治28年(1895)香川県生、東京住。津田女子英学塾卒。『日光同人女流誌『をだまき』主宰者北原白秋影響を受け象徴的ではあるが、情熱的な意志しっかりした作風をもつ。著書に『新しき短歌理論』『夕波』等がある。

中河幹子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/05 15:29 UTC 版)

中河幹子(1957年)

中河 幹子(なかがわ みきこ、1897年7月30日 - 1980年10月26日)は、日本国文学者歌人中河与一の妻。旧姓は林。

香川県坂出市生まれ。実家は紙問屋林卯吉[1]香川県立丸亀高等女学校を経て津田英学塾卒。在学中の1920年に中河与一と結婚をする。女性文芸誌『ごぎやう』を創刊し、後に短歌誌『をだまき』と改め主宰となる。門下に高瀬一誌蒔田さくら子らがいる。共立女子大学教授を務め、共立女子学園歌の作詞も手がけている。

妹の林寿枝子は、初代メイ牛山に師事した美容家で[2]、雑誌で美容指南や対談などもした[3][4]

著書

  • 臨時東京第三陸軍病院傷兵傷兵歌集 第1輯(編)報国社 1943
  • 珠玉の人 鳩山薫先生伝 日輪閣 1967
  • ヨーロッパ・アメリカ・日本 白川書院 1969
  • 悲母 歌集 短歌新聞社 1974
  • 水天無辺 歌集 短歌新聞社 1981.4 (現代歌人叢書)
  • 中河幹子全歌集 池田まり子編 短歌新聞社 2005.7

翻訳

  • イバニヱス傑作集 聚英閣 1924

参考

  • 文藝年鑑75
  • 中河幹子略年譜 (中河幹子追悼集) 「短歌研究」1981-1

脚注

  1. ^ 中河与一年表荒木優太、2015年05月05日
  2. ^ 『昭和文学研究』第 52 号、昭和文学研究会, 2006、p17
  3. ^ 林寿枝子国立国会図書館デジタルコレクション
  4. ^ 『「婦人雑誌」がつくる大正・昭和の女性像 第23巻』岩見照代 監修、ゆまに書房, 2016.4「男まさり令嬢事業家の座談会 小池起与子, 林寿枝子 ほか 述」の項


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