中正堅実の精神
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/04 01:31 UTC 版)
米田吉盛は中正堅実の精神を重視しており、神大学長としてのエピソードがある。神奈川大学は1948年日本私立大学協会に加盟したが、この協会は早稲田大学や慶應義塾大学などの旧制大学が力を持ち、旧制大学と新制大学には軋轢があった。新加入した新制大学68校は1950年の役員選挙において神奈川大学学長の米田吉盛を会長に推し、さらに副会長も数の力で新制大学から選出しようとした。しかし米田は会長、副会長を新制大学が独占するべきでないとし、明治大学総長の鵜澤總明を会長に推し、自分は副会長で良いと主張しその通りとなった。1950年、私大協会会長鵜澤總明の要請で副会長の米田吉盛は、東京大学横田喜三郎、東京都立大学 (1949-2011)柴田雄次、九州大学伊藤徳之助の国公立大学3名と共にフランス・ニースでの国際大学協会創立総会に出席した。
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