中山道経路の変更
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/13 17:22 UTC 版)
江戸時代初期新町宿周辺の中山道の本庄宿と倉賀野宿との間の経路は、烏川北岸の玉村を通っていた。その後、慶安4年(1651年)に「落合新町」、承応2年(1653年)に「笛木新町」(いずれも烏川南岸)に伝馬役が命ぜられ、経路が変更された。
※この「中山道経路の変更」の解説は、「新町宿」の解説の一部です。
「中山道経路の変更」を含む「新町宿」の記事については、「新町宿」の概要を参照ください。
- 中山道経路の変更のページへのリンク