中原恵司とは? わかりやすく解説

中原恵司

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/04 15:38 UTC 版)

中原 恵司
ソフトバンク時代
基本情報
国籍 日本
出身地 愛知県大府市
生年月日 (1987-07-10) 1987年7月10日(37歳)
身長
体重
183 cm
80 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
プロ入り 2009年 ドラフト4位
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
派遣歴

中原 恵司(なかはら けいじ、旧姓:下平(しもひら)、1987年7月10日 - )は、愛知県大府市出身の元プロ野球選手外野手)。右投右打。

経歴

プロ入り前

愛知県大府市出身。小学2年から投手捕手として野球をはじめ、中学時代は投手兼外野手。

武蔵工大二高(現:東京都市大塩尻高)では1年春からベンチ入り、秋にはエースとなるが2年秋には遊撃手に転向。強肩強打の大型遊撃手として注目された。2学年下には菊池涼介がいた。

2006年に進学した亜細亜大学でも1年春からベンチ入り。3年春(2008年)に外野手のレギュラーを掴むと、3季連続でベストナインに選出された。東都大学リーグ通算61試合出場、186打数42安打、打率.226、9本塁打、24打点。

2009年第37回日米大学野球選手権では亜大同期の中田亮二日本代表の中軸として共に4番・5番を張り、中原は全5試合で安打を放ち6打点を挙げ日本の連覇に貢献。MVPに選出された。

ソフトバンク時代

2009年10月29日に行われたプロ野球ドラフト会議において、福岡ソフトバンクホークスから4位指名を受け入団した。

3年目の2012年までは一軍昇格はなかった。

2013年は春季キャンプ、オープン戦と一軍に帯同し、3月16日の対横浜DeNAベイスターズ戦(横浜スタジアム)では加賀美希昇から本塁打を放つなどしたが、開幕直前に二軍降格。結局プロ入り後4年間で一度も一軍公式戦出場のないまま、10月7日に球団から戦力外通告を受けた[1]。年末には語学留学を兼ねてプエルトリコのウィンターリーグに参加(ヒガンテス・デ・カロリーナに所属)するなどしていたが、この年限りで現役を引退。

現役引退後

2014年6月12日福岡県福岡市中央区大名に自身が店主を務める「世直し居酒屋 ええじゃないか」をオープン。ホークスの選手や親しい関係者なども度々訪れていたが、のちに居酒屋は閉店[2]。以降はホークスジュニアアカデミーでコーチを務める[3]

人物

先述の通り元々は「下平」姓であったが、3姉妹である母方の名字「中原」を途絶えさせないため、2009年2月に祖母と養子縁組をして「下平」から姓を変更した。次男である中原に姓を継がせることは、中原が幼い時に亡くなった母方の祖父の遺言であったという[4]

詳細情報

年度別打撃成績

  • 一軍公式戦出場なし

背番号

  • 10(2010年 - 2013年)

脚注

  1. ^ 来季契約についてソフトバンク球団公式サイト2013年10月7日配信
  2. ^ [1][リンク切れ]
  3. ^ コーチ紹介 ホークスジュニアアカデミーHP
  4. ^ 中原選手、本塁打王の歴史に「中原」の名を残すことを誓った”. 福岡ソフトバンクホークス公式サイト (2009年11月3日). 2016年6月3日閲覧。

関連項目

外部リンク





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