世尊寺家の終焉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/23 05:38 UTC 版)
享禄5年(1532年)、第17代・行季(ゆきすえ)のとき、500年以上続いた世尊寺家は後嗣なく断絶した。後奈良天皇は深くこれを惜しみ、第16代・行高(ゆきたか)から相伝を受けた持明院基春に後を継がせたが、その後は世尊寺流といわず、持明院流といった。世尊寺流は書道の正統的な一流として極めて権威ある存在であったが、書道的に価値の高い作品を遺したのは、第6代・伊行までで、その後は伝統の形骸を守ったに過ぎない感がある。
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