不比等の後継者へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/17 01:35 UTC 版)
養老4年(720年)8月に父の右大臣・藤原不比等が薨去すると、翌養老5年(721年)正月に武智麻呂・房前兄弟は揃って従三位に昇進した上で、武智麻呂は参議を経ずに中納言に任官する。武智麻呂は太政官の席次でも房前の上位となり、一躍藤原氏一族の中心的存在となる。一方で、同年10月には元明上皇が死の床で、右大臣・長屋王とともに一介の参議であった房前を召し入れて後事を託し、さらに房前を祖父・藤原鎌足以来の内臣に任じて、内外の政務を担当して天皇を補佐するように命じる。この状況から、藤原氏主導の政権運営を志向する武智麻呂と、長屋王と連携しながら内臣として内廷で政治力を発揮しつつ皇親政治を維持しようとした房前との政治路線の違いがあったともされる。一方で、房前自身が内臣の地位を求めたわけではなく、政治的野心もなかったことから、二人の関係は破滅までには至らなかった。
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