不完全な左目
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/07 04:10 UTC 版)
「ネフェルティティの胸像」の記事における「不完全な左目」の解説
ボルヒャルトは胸像を発見した当初、トトメスの工房が廃墟となったときに胸像の左目にはめ込まれていた石英が落剥したと考えており、工房跡を捜索したが左目の石英を発見することはできなかった。欠けた左目は、実際にネフェルティティが眼病に苦しみ失明していたのではないかという憶測を生み出したが、他の彫像では左目が表現されている事実と矛盾している。 エジプト美術館館長ディートリヒ・ヴィルドゥング(Dietrich Wildung)は、ベルリンの『ネフェルティティの胸像』が公式の肖像を作成するためのモデルであり、目の内部の彫刻方法を弟子たちに教えるために左目は作成されなかったのではないかと推測した。『Gardner's Art Through the Ages』とシルヴァーマンも、この胸像はあえて未完成になっていると考えている。一方ハワスは、もともと胸像に左目が存在したが後に失われたと主張した。
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