三浦弥平
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/29 13:19 UTC 版)
三浦 弥平(みうら やへい、1891年4月2日 - 1971年4月)は、日本の陸上選手(長距離走)。現在の福島県伊達市出身。1920年アントワープ・1924年パリオリンピックのマラソン競技に出場[1][2]。早稲田大学卒業後、ドイツに留学して体育学を修め、帰国後は郷里のスポーツ振興に尽力した。
注釈
- ^ 当時の尋常小学校は4年制。のち梁川町立白根小学校を経て伊達市立白根小学校。2017年閉校。
- ^ 関東インカレ。日本全国の大学の対校競技会である日本学生陸上競技対校選手権大会(日本インカレ)はまだ開催されていない。
- ^ 25マイルは約40.23km。
- ^ 河野の自伝によれば「当時のオリンピック選手で、金栗さんと並び称された三浦弥平という人や、極東大会の千五百の選手だった生田喜代次という先輩」からの勧誘を受けた河野は「オリンピック選手という肩書に、田舎中学生の私はすっかり感激し、その場で勧誘に応じた」という[5]。ただし河野の入部は1919年(大正8年)で[5]、これは三浦のオリンピック出場前である。
- ^ ほかに金栗四三、茂木善作、八島健三。
- ^ 当時マラソン競技の距離は一定しておらす、アントワープ大会では40.75kmであった。オリンピックのマラソン競技が42.195kmとなるのは1924年パリ大会から。
- ^ ほかに金栗四三、田代菊之助。
- ^ 県境をまたいでいるが、白根村と筆甫村は隣村であり、松坂峠を越える交通路(現在の宮城県道・福島県道102号平松梁川線)で結ばれている。
- ^ 満州事変(1931年)・「満州国」建国(1932年)以来大陸情勢の緊迫は継続しているものの、日中戦争の勃発は1937年である。出典[2]のままとする。
出典
- ^ a b c d e f “三浦弥平”. うつくしま電子事典. 福島県教育委員会. 2021年3月5日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai “福島県初のオリンピアン「三浦弥平」”. 伊達市. 2021年3月5日閲覧。
- ^ “競走部の歴史 その輝かしい黎明期 明治40年(1907年)~大正15年(1926年)”. 明治大学体育会競走部. 2021年3月5日閲覧。
- ^ a b “夏季オリンピックと早稲田”. 早稲田大学競技スポーツセンター. 2021年3月5日閲覧。
- ^ a b c “第五編/第二十章 大正前期の体育/一 陸上運動会・水上運動会”. 早稲田百年史. 早稲田大学. 2021年3月5日閲覧。
- ^ a b c d e “特集 伊達の韋駄天 三浦弥平”. だて市政だより 2019年6月号. 伊達市. 2021年3月5日閲覧。
- ^ a b c “白根地区健康なまちづくり計画”. 白根地区健幸都市推進協議会. 2021年3月5日閲覧。
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