三橋四郎次 (2代)とは? わかりやすく解説

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三橋四郎次 (2代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/14 06:03 UTC 版)

2代 三橋四郎次

2代 三橋 四郎次(みつはし しろうじ、1879年明治12年)8月11日[1] - 1955年昭和30年)3月22日[2])は、日本の篤農家実業家政治家衆議院議員貴族院多額納税者議員。初名・卓[3]、号・光波子[4]

経歴

静岡県城東郡丹野村(のち小笠郡川野村、現菊川市)で、地主・初代三橋四郎次の二男として生まれる[3][4]1898年(明治31年)静岡県尋常中学校卒業。1901年(明治34年)東京専門学校(のちの早稲田大学)英語政治科を卒業[2]日露戦争見習士官として出征し、陸軍歩兵中尉に昇進した[5][6]1906年(明治39年)家督を相続し四郎助(2代)を襲名した[3]

政界では静岡県会議員、同参事会員を務めた[2][4][6]1924年(大正13年)5月、第15回衆議院議員総選挙に静岡県第7区から出馬して当選し、立憲民政党に所属して衆議院議員を1期務めた[2]。また、1940年(昭和15年)静岡県多額納税者として補欠選挙で貴族院議員に互選され、同年9月11日、貴族院多額納税者議員に就任し[7][8]同成会に所属して1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した[5]

茶業界の発展改良に尽力し、小笠郡茶業組合委員、静岡県茶業連合会議所理事、同特別議員、茶業中央会議所議員、同専務理事、日本茶業会会頭、日本茶輸出組合理事長、静岡県製茶業組合長などを務めた[2][4][5]。その他、実業界では、遠州銀行監査役、日本紅茶社長、東亜製茶社長、日本紅茶販売社長などを務めた[2][5]

著作

  • 『光波子句集』三橋四郎次、1941年。

脚注

  1. ^ 衆議院『第49回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1924年、16頁。
  2. ^ a b c d e f 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』621頁。
  3. ^ a b c 『人事興信録 第14版 下』ミ25頁。
  4. ^ a b c d 『静岡県歴史人物事典』451頁。
  5. ^ a b c d 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』222頁。
  6. ^ a b 『新代議士名鑑』232頁。
  7. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、50頁。
  8. ^ 『官報』第4107号、昭和15年9月12日。

参考文献

  • 加藤紫泉『新代議士名鑑』国民教育会、1924年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1943年。
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 静岡新聞社出版局編『静岡県歴史人物事典』静岡新聞社、1991年。



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