一心会事件と2007年大選敗北
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/13 08:07 UTC 版)
「民主労働党 (韓国)」の記事における「一心会事件と2007年大選敗北」の解説
2006年10月、386世代の元学生運動家らによるスパイ団、一心会事件に絡み、複数の幹部が国家情報院と検察当局に逮捕され、その後有罪が確定した。2007年12月の大統領選挙には権永吉を擁立したものの、社会自由主義的主張を掲げた創造韓国党の文国現(ムン・グヒョン)にも遅れをとる得票率3.0%で5位に沈んだ。この敗北を受け、親北朝鮮路線を採る党内多数派の「自主派」を魯会燦(ノ・フェチャン)ら「平等派」が激しく批判し、党内は分裂含みの混乱状況に陥った。2008年1月には党内に非常対策委員会が設置され、平等派を中心に一心会事件の総括・親北路線の転換を目指す流れが一旦生まれたものの、一心会関係者の除名を骨子とした改革案が2月3日の臨時党大会で否決されると、これに失望した支持母体の民主労総傘下の組合や地域党幹部・党員の集団離党が多発した。
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