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ビンセント・スペイディア

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/06 03:28 UTC 版)

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ビンセント・スペイディア
Vincent Spadea
ビンセント・スペイディア
基本情報
フルネーム Vincent Spadea
愛称 Vince
国籍 アメリカ合衆国
出身地 同・イリノイ州シカゴ
居住地 同・フロリダ州ボカラトン
生年月日 (1974-07-19) 1974年7月19日(45歳)
身長 183cm
体重 77kg
利き手
バックハンド 両手打ち
ツアー経歴
デビュー年 1993年
引退年 2010年
ツアー通算 4勝
シングルス 1勝
ダブルス 3勝
生涯通算成績 376勝473敗
シングルス 311勝359敗
ダブルス 65勝114敗
生涯獲得賞金 $5,004,680
4大大会最高成績・シングルス
全豪 ベスト8(1999)
全仏 3回戦(1999・2002・03)
全英 4回戦(2004)
全米 4回戦(1995・99)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪 2回戦(2006・07)
全仏 3回戦(2006)
全英 3回戦(2004)
全米 3回戦(2005)
キャリア自己最高ランキング
シングルス 18位(2005年2月28日)
ダブルス 90位(2006年6月12日)

ビンセント・スペイディアVincent Spadea, 1974年7月19日 - )は、アメリカイリノイ州シカゴ出身の男子プロテニス選手。シングルス自己最高ランキングは18位。ATPツアーでシングルス1勝、ダブルス3勝を挙げた。身長183cm、体重73kg、右利き。バックハンド・ストロークは両手打ち。

来歴

スペイディアは長くアメリカの中堅選手として活動し4大大会のシングルスに54回出場している。最高成績は1999年全豪オープンのベスト8進出である。4回戦で第6シードのアンドレ・アガシを 6–2, 7–5, 6–7, 6–3 で破る殊勲を挙げた。準々決勝ではトミー・ハースに 6–7, 5–7, 3–6 で敗れた。

2000年シドニーオリンピック2004年アテネオリンピックにアメリカ合衆国代表として出場した。シドニー五輪では1回戦で地元のパトリック・ラフターに敗れたが、アテネ五輪ではオーストリアユルゲン・メルツァーを 6-0, 6-1 で破り初戦を突破した。2回戦で金メダルを獲得したチリニコラス・マスーに 6-7, 2-6 で敗れた。

マスターズ大会では2003年のインディアンウェルズモンテカルロ、2004年のマイアミでベスト4に進出している。

2004年3月のスコッツデール大会の決勝でニコラス・キーファーを 7–5, 6–7(5), 6–3 で破り優勝し初のATPシングルスタイトルを獲得した。これが唯一のシングルス優勝である。2005年2月28日付のランキングで自己最高の18位を記録している。

スペイディアは2010年7月のテニス殿堂選手権を最後に現役を引退した。

ビリー・ジーン・キングボビー・リッグスの「男女対抗試合」を描いた2017年公開の映画『バトル・オブ・ザ・セクシーズ』で、リッグスを演じたスティーブ・カレルの代役としてテニスの試合シーンに出演した[1]

ATPツアー決勝進出結果

シングルス: 5回 (1勝4敗)

大会グレード
グランドスラム (0-0)
テニス・マスターズ・カップ (0-0)
ATPマスターズシリーズ (0-0)
ATPインターナショナルシリーズ・ゴールド (0-1)
ATPインターナショナルシリーズ (1-3)
サーフェス別タイトル
ハード (1-2)
クレー (0-1)
芝 (0-1)
カーペット (0-0)
結果 No. 決勝日 大会 サーフェス 対戦相手 スコア
準優勝 1. 1998年5月24日 ザンクト・ペルテン クレー マルセロ・リオス 2–6, 0–6
準優勝 2. 1999年8月16日 インディアナポリス ハード ニコラス・ラペンティ 6–4, 4–6, 4–6
優勝 1. 2004年3月1日 スコッツデール ハード ニコラス・キーファー 7–5, 6–7(5), 6–3
準優勝 3. 2004年9月20日 デルレイビーチ ハード リカルド・メロ 6–7(2), 3–6
準優勝 4. 2005年7月10日 ニューポート グレグ・ルーゼドスキー 6–7(3), 6–2, 4–6

ダブルス: 5回 (3勝2敗)

結果 No. 決勝日 大会 サーフェス パートナー 対戦相手 スコア
準優勝 1. 1995年5月27日 ボローニャ クレー リボル・ピメク バイロン・ブラック
ジョナサン・スターク
5–7, 3–6
優勝 1. 1995年11月12日 ブエノスアイレス クレー クリスト・ファン・レンスベルフ イジー・ノバク
ダビド・リクル
6-3, 6-3
優勝 2. 1997年4月28日 オーランド クレー マーク・マークレイン アレックス・オブライエン
ジェフ・サルツェンスタイン
6–4, 4–6, 6–4
優勝 3. 1997年9月8日 タシュケント ハード ヴィンチェンツォ・サントパードレ エヤル・ラン
ヒシャム・アラジ
4–6, 7–6, 0–6
準優勝 2. 1998年5月4日 コーラルスプリングス クレー マーク・マークレイン グラント・スタッフォード
ケビン・ウリエット
5–7, 4–6

4大大会シングルス成績

略語の説明
W  F  SF QF #R RR Q# LQ A WG Z# PO SF-B S G NMS NH

W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加
WG=デビスカップワールドグループ, Z#=デビスカップ地域ゾーン, PO=デビスカッププレーオフ, SF-B=オリンピック銅メダル, S=オリンピック銀メダル, G=オリンピック金メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, NH=開催なし.

大会 1993 1994 1995 1996 1997 1998 1999 2000 2001 2002 2003 2004 2005 2006 2007 2008 2009 通算成績
全豪オープン A LQ 3R 2R A 3R QF 1R A LQ 1R 1R 1R 1R 2R 3R 1R 12–12
全仏オープン A A 1R 1R 1R 2R 3R 1R LQ 3R 3R 2R 2R 1R 1R 1R A 9–13
ウィンブルドン A LQ 1R 1R 1R 2R 1R 2R A 2R 1R 4R 1R 1R 1R 1R 2R 7–14
全米オープン 1R 2R 4R 3R 1R 1R 4R 1R LQ 2R 1R 2R 2R 3R 1R 1R LQ 14–15

脚注

  1. ^ Pantic, Nina (2017年9月26日). “How Battle of the Sexes Made the Tennis Look Real”. Baseline. 2017年9月29日閲覧。

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