ヴァージニアへの帰還
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/21 15:22 UTC 版)
「ネセシティ砦の戦い」の記事における「ヴァージニアへの帰還」の解説
7月4日、ワシントンとヴァージニア軍はネセシティ砦を放棄した 。彼らは太鼓を鳴らし、旗を翻して砦を後にしたが、インディアンとフランスの部隊は、その途中で彼らから略奪を働いたが、略奪を止めさせることで大虐殺に発展するのを恐れたワシントンは、彼らのなすがままにさせておいた。翌5日までインディアンたちは略奪を繰り返し、7月半ばになって、ワシントンの一行はヴァージニア東部に戻った。17日、ワシントンはディンウィディーに戦闘についての報告書を提出した。ワシントンは譴責を覚悟したが、立法府からは感謝決議を受け、ディンウィディーは、ワシントンにではなく、他の植民地が物資をあまりよこさなかったこと、支援を断ったことを非難した。
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