ンジンガ女王の台頭
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/13 08:37 UTC 版)
兄ムバンディの死後、ンジンガはムバンディの息子の摂政になったもののすぐにこれを殺し、王位に就いた。ンジンガは脱走奴隷で軍隊を組織し、首都をより守りに適したンドンゴ発祥の地であるカヴァンガに移した。そして、隣接するマタンパ王国も併呑し、国力を高めるとたびたびポルトガル軍を撃破し、やがてアンゴラにおけるポルトガルの首都的拠点であったマサンガンを包囲した。しかし、ポルトガルの反攻が始まると国土の多くを失い、マタンバに撤退するが、女王が死ぬまで王国は征服されることはなかった。ポルトガルは別のンゴラを立てた。
※この「ンジンガ女王の台頭」の解説は、「ンドンゴ王国」の解説の一部です。
「ンジンガ女王の台頭」を含む「ンドンゴ王国」の記事については、「ンドンゴ王国」の概要を参照ください。
- ンジンガ女王の台頭のページへのリンク