ルーブフォスターとは? わかりやすく解説

ルーブ・フォスター

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/29 08:50 UTC 版)

ルーブ・フォスター
Rube Foster
ルーブ・フォスター(1924年)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地 テキサス州ロバートソン郡カルヴァート
生年月日 1879年9月17日
没年月日 (1930-12-09) 1930年12月9日(51歳没)
身長
体重
6' 2" =約188 cm
200 lb =約90.7 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
初出場 1902年
最終出場 1926年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
  • シカゴ・ユニオン・ジャイアンツ(1902年)
  • キューバン・X・ジャイアンツ(1903年)
  • フィラデルフィア・ジャイアンツ(1904-1906年)
  • リーランド・ジャイアンツ(1907-1910年)
  • シカゴ・アメリカン・ジャイアンツ(1911-1926年)
殿堂表彰者
選出年 1981年
選出方法 ベテランズ委員会選出

アンドルー・ルーブ・フォスター(Andrew Rube Foster 1878年(もしくは1879年9月17日 - 1930年12月9日)はアメリカ合衆国の元プロ野球選手投手)。現役時代は投手として、引退後には監督として、更に黒人野球界の実力者としてニグロリーグの設立に貢献した。弟ビル・フォスターも野球選手。

注:ニグロ・リーグ結成以前にも黒人プロ野球は存在していたが、組織だったものではなかった。

来歴

テキサス州ロバートソン郡カルヴァートにて生まれる。黒人野球チームで投手として大活躍し、キューバン・X・ジャイアンツに在籍していた1903年MLBのフィラデルフィア・アスレチックス(現オークランド・アスレチックス)とエキシビションで対戦。この時にルーブ・ワッデルに投げ勝ったことでルーブが愛称として使われるようになった(後に正式なミドルネームとしている)。また他の試合ではサイ・ヤングに投げ勝っており、これらメジャーでの伝説的投手たちに勝るとも劣らない投手であった。

1903年、フィラデルフィア・ジャイアンツとの黒人ワールドシリーズではチームの5勝の内4勝を挙げるなど大車輪の活躍をした。また、翌1904年にはシーズン51勝を挙げている。

1910年からリーランド・ジャイアンツの監督を務めるようになる。この年には123勝6敗という成績を挙げるが、オーナーとの間で対立が起こり、フォスターは球団を買い取ってシカゴ・アメリカン・ジャイアンツと改名し、自ら経営に乗り出した。監督業と同時に興行にも力を入れて、シカゴ・アメリカン・ジャイアンツはメジャーとも並ぶ人気球団となった。このチームは1910年代最強の黒人野球チームと言われている。

1920年、かねてよりの夢であった黒人野球リーグの設立を呼びかけ、8チームが参加したニグロナショナルリーグが誕生した。これに刺激を受けて東部ではイースタンカラードリーグも発足。1924年からは両リーグの勝者の間で黒人ワールドシリーズが行われるようになった(1927年まで)。

ニグロ・ナショナル・リーグとイースタン・カラード・リーグは仲が悪く、オーナーたちにはリーグ全体を引っ張っていく力が無くフォスター一人がリーグ全体を支えている形であった。フォスター自身に対してはほとんど無報酬であり、しかも経営難のチームには自腹を切って救済するなどひたすらフォスターはリーグのために奔走し続ける。

しかしあまりに過重な負担がかかったフォスターは1926年に精神を患い、1930年に死去。指導者を失った黒人野球リーグは大恐慌の影響もありいったん崩壊はするものの再び復活し、1930年代後半から1940年代前半にかけて全盛期を迎える。1981年アメリカ野球殿堂入りした。

投手としての球種はカーブ、スクリューボール   投球フォームは主にサブマリン

(米書 「guide to pitchers」より)

出典・外部リンク





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