ルーシ・ビザンツ条約 (911年)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ルーシ・ビザンツ条約 (911年)の意味・解説 

ルーシ・ビザンツ条約 (911年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/06/17 14:57 UTC 版)

ルーシ・ビザンツ条約(ルーシ・ビザンツじょうやく、ロシア語: Русско-византийский договор)は911年キエフ・ルーシ東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の間に締結された条約[1]。下ごしらえとして907年に結ばれた条約をより発展させるべく結ばれ、両国が10世紀に結んだ条約の中で最も包括的で詳細な物になっている。

条約の文章は『原初年代記』に記録されており、その内容と言葉の表現法は後に東ローマ帝国とイタリアの諸商人共和国の間に結ばれた通商条約と多くの類似点を有している。条約の文章は2つの言語で構成され(片方は東ローマの公用語であるギリシャ語)、東ローマ側においては皇帝レオーン6世がじきじきに署名した。一方のルーシ側の首長(キエフ大公)の座にあったのはオレグである[2]。また、締結式で両側によってなされた演説もそれに記されている。当時ヨーロッパ蛮族とされた者達(ルーシ)との条約の中で、これほどの複雑さと古色を持つ条約はほかにない。

条約はルーシ側使節の名前の列挙で始まり、その名前はもっぱら北欧的なものである。第3項から第7項までは刑法およびルーシがコンスタンティノープルに持つ居留地での生活を規定していて、もし帝国首都でルーシ商人が死んだ場合の遺産継承の条件なども記されている[3]。第8項は海事法について規定されている[4]。その以下の項では捕虜身代金および相互交換、ルーシ商人が受ける待遇などが詳細に述べられている。

出典

  1. ^ 國本哲男『ロシア原初年代記』p. 358.
  2. ^ 田中陽兒「キエフ国家の形成」p. 55.
  3. ^ 國本哲男『ロシア原初年代記』pp. 35-37.
  4. ^ 國本哲男『ロシア原初年代記』p. 37.

参考文献

  • 國本哲男他訳『ロシア原初年代記』名古屋大学出版会、1987年。pp. 30-40.
  • 田中陽兒「キエフ国家の形成」 // 『世界歴史大系 ロシア史 1 -9世紀~17世紀-』、田中陽兒・倉持俊一・和田春樹編、山川出版社、1995年。



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ルーシ・ビザンツ条約 (911年)」の関連用語

ルーシ・ビザンツ条約 (911年)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ルーシ・ビザンツ条約 (911年)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのルーシ・ビザンツ条約 (911年) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS