ルドビコ・スカルフィオッティ(イタリア)
祖父がフィアット創立時のメンバーのひとり、父、ルイジ・スカルフィオッティは企業家としての生活のかたわら初期のミレ・ミリアに盛んに挑戦して、1932年にはアルファロメオで総合3位という成績を残した。そうしたなかで育ったロドビコも早くからレースを目指し、56年のミレ・ミリアではフィアットの小型車でクラス優勝している。のちにフェラーリに認められ、おもにスポーツカー・レースを走るようになったが、ヒルクライムでは62年にヨーロッパ・チャンピオンとなり、66年にはモンツァて、行われたイタリアGPでも優勝するなど、オールラウンダーとして優れた手腕を発揮した。のちにドイツのヒルクライムで事故死。
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