リード・ブロンドロの戦い (1379年7月)
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「キオッジャ戦争」の記事における「リード・ブロンドロの戦い (1379年7月)」の解説
7月、ピエトロ・ドリア率いるジェノヴァの大艦隊が、ヴェネツィアのラグーンを守る位置にあるリードの沖に現れた。そして8月、海からジェノヴァ海軍が、陸上からパドヴァ軍とハンガリー軍が一斉にヴェネツィアへの攻撃を開始した。 ヴェネツィアは南部のブロンドロ島とキオッジャ市を除き、ヴェネツィアを構成するすべての堤防と港を鎖で封鎖した。ヴェネツィア本島周辺は互いの距離が近く、防衛に際して連携が容易だったが、キオッジャはラグーンの中でも遠く離れていて、運河を抑えられると行き来が出来なくなった。ヴェネツィアはキオッジャに至る水路を示す浮標を撤去し、ラグーンに艦隊を展開した。間もなく、ブロンドロは連合軍に占領された。
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