リンカーンでの生産
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/13 05:05 UTC 版)
「リバティ L-12」の記事における「リンカーンでの生産」の解説
アメリカが第一次世界大戦に参戦すると、キャデラック(既にゼネラルモーターズ傘下であった)はリバティエンジン生産の打診を受けた。しかし、平和主義者であった当時の社長ウィリアム・C・デュラントは、ゼネラルモーターズやキャデラックの生産設備で軍需品を生産することに反対していた。このため、ヘンリー・リーランドはキャデラックを去り、リバティエンジンの生産のためリンカーン・モーターカンパニーを立ち上げた。リーランドはすぐさま1,000万ドルでエンジン6,000基を生産する契約を取り付けた。その後、契約台数は9,000基に増やされ、さらに政府が必要とする場合は8,000基を追加するオプションも追加された。デュラントはその後心変わりし、キャデラックとビュイックの工場でエンジン生産に取り組んだ。 1918年のうちに、16,000基以上のリバティエンジンが生産された。1918年11月11日の時点で、14,000基以上が生産済みだった。リンカーンは1919年1月に生産停止するまでに、実に6,500基を納品した。
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