ラミーガラとは? わかりやすく解説

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ラミーガラ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/07/02 03:52 UTC 版)

ラミーガラ
Ramygala

ラミーガラの風景
市章
位置

ラミーガラの位置(リトアニア共和国
座標 : 北緯55度30分40秒 東経24度18分10秒 / 北緯55.51111度 東経24.30278度 / 55.51111; 24.30278
歴史
文献に登場 1503年
市に制定 1957年
行政
リトアニア
 地方 アウクシュタイティヤ
  パネヴェジース郡
 自治体 パネヴェジース地区自治体
 市 ラミーガラ
人口
人口 2009年現在)
  市域 1,668人
その他
等時帯 EET (UTC+2)
夏時間 EEST (UTC+3)
郵便番号 LT-38031

ラミーガラリトアニア語: Ramygala)はリトアニアパネヴェジース郡に属する都市

概要

パネヴェジースケダイネイを繋ぐ道路の中間にあり、パネヴェジースから24km南に位置する。面積は320ヘクタール。ネヴェジス川の支流の一つ、ウピーテ川が側を流れる丘陵にある。規模は小さく、2009年の調査によれば居住者の数は1700人を下回る。

ラミーガラという名が歴史上初めて言及されるのは13世紀のことである。1370年頃、ラミーガラの地はドイツ騎士団の侵略に脅かされていた。1500年より少し前、街で最初の教会が設立され、1503年、街に対してラミーガラという名称が用いられるようになる。

以後、少しずつ発展し、数年後には荘園を保有するようになる。16世紀末期には、定期市場を開催する特権を受けた。他のリトアニアの街と違って、ラミーガラは貴族の支配下に置かれることはなかった。どちらかと言うと、ヴィリニュス大聖堂(後年はヴィリニュス大学)に属していた。

1781年には、戦火で消失した教会の跡に新たな教会が設立され、それに続いて教区学校も建造された。20世紀になると更に拡張が実施され、2つの新たな学校施設とドミトリーが建造されて荘厳な施設となった。この学校は2005年にラミーガラ・ギムナジウムと命名されており、敷地内には歴史的文化物が奉納された博物館がある。

19世紀末には、3つの通路と祭壇を備えた、ゴシック・リヴァイヴァル様式の教会が新たに建造された。屹立する鐘楼が特徴であり、第二次世界大戦の戦火を被り破損したが、1950年代に再建された。




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