ヨハン2世 (プファルツ=ジンメルン公)とは? わかりやすく解説

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ヨハン2世 (プファルツ=ジンメルン公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/03 10:41 UTC 版)

ヨハン2世
Johann II.
プファルツ=ジンメルン公
在位 1509年 - 1557年

出生 (1492-03-20) 1492年3月20日
死去 (1557-05-18) 1557年5月18日(65歳没)
配偶者 ベアトリクス・フォン・バーデン
  マリア・ヤコベア・フォン・エッティンゲン
子女 一覧参照
家名 プファルツ=ジンメルン家
父親 プファルツ=ジンメルン公ヨハン1世
母親 ヨハンナ・フォン・ナッサウ=ザールブリュッケン
宗教 キリスト教カトリックプロテスタント
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ヨハン2世(Johann II., 1492年3月20日 - 1557年5月18日)は、プファルツ=ジンメルン公。プファルツ=ジンメルン公ヨハン1世とナッサウ=ザールブリュッケン伯ヨハン2世の娘ヨハンナの次男。

1508年バーデン辺境伯クリストフ1世の娘ベアトリクスと結婚、翌1509年の父の死により領土を相続した。宗教改革プロテスタントに改宗、選帝侯であるトリーア大司教マインツ大司教と対立した。1557年に死去、息子のフリードリヒ2世が後を継ぎ、1559年プファルツ選帝侯位も継承した。

子女

最初の妻ベアトリクスとの間に12人の子を儲けた。

  1. カタリーナ(1510年 - 1572年) - クント女子修道院長
  2. ヨハンナ(1512年 - 1581年) - ボッパルト女子修道院長
  3. オッティリア(1513年 - 1553年)
  4. フリードリヒ2世(1515年 - 1576年) - プファルツ=ジンメルン公、プファルツ選帝侯
  5. ブリギッタ(1516年 - 1562年) - ノイブルク・アン・デア・ドナウ女子修道院長
  6. ゲオルク(1518年 - 1569年) - プファルツ=ジンメルン公、エリーザベト・フォン・ヘッセンと結婚
  7. エリーザベト(1520年 - 1564年) - エルバッハ伯ゲオルク2世と結婚
  8. ライヒャルト(1521年 - 1598年) - プファルツ=フェルデンツ公ゲオルク・ヨハン1世の娘アンナ・マルガレーテ(1571年 - 1621年)と結婚
  9. マリア(1524年 - 1576年) - ボッパルト修道女
  10. ヴィルヘルム(1526年 - 1527年)
  11. ザビーネ(1528年 - 1578年) - エフモント伯ラモーラルと結婚
  12. ヘレネ(1532年 - 1579年) - ハーナウ=ミュンツェンベルク伯フィリップ3世と結婚

1554年、エッティンゲン伯ルートヴィヒ15世の娘マリア・ヤコベアと再婚、子は生まれなかった。

先代
ヨハン1世
プファルツ=ジンメルン公
1509年 - 1557年
次代
フリードリヒ2世



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