ヨハン1世_(プファルツ=ツヴァイブリュッケン公)とは? わかりやすく解説

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ヨハン1世 (プファルツ=ツヴァイブリュッケン公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/31 23:33 UTC 版)

ヨハン1世
Johann I.
プファルツ=ツヴァイブリュッケン公
在位 1569年 - 1604年

出生 (1550-05-08) 1550年5月8日
死去 (1604-08-12) 1604年8月12日(54歳没)
埋葬 神聖ローマ帝国
プファルツ=ツヴァイブリュッケン公領、ツヴァイブリュッケン、アレクサンダー教会
配偶者 マグダレーネ・フォン・ユーリヒ=クレーフェ=ベルク
子女 一覧参照
家名 プファルツ=ツヴァイブリュッケン家
父親 プファルツ=ツヴァイブリュッケン公兼プファルツ=ノイブルク公ヴォルフガング
母親 アンナ・フォン・ヘッセン
宗教 キリスト教ルター派カルヴァン派
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ヨハン1世(Johann I., 1550年5月8日 - 1604年8月12日)は、プファルツ=ツヴァイブリュッケン公(在位:1569年 - 1604年)。プファルツ=ツヴァイブリュッケン公兼プファルツ=ノイブルク公ヴォルフガングヘッセン方伯フィリップの娘アンナの次男。プファルツ=ノイブルク公フィリップ・ルートヴィヒの弟、プファルツ=ズルツバッハ公オットー・ハインリヒ、プファルツ=ツヴァイブリュッケン=フォーエンシュトラウス=パルクシュタイン公フリードリヒ、プファルツ=ツヴァイブリュッケン=ビルケンフェルト公カール1世の兄。

1569年の父の死に伴い遺領を分割し、ヨハンはプファルツ=ツヴァイブリュッケン公となった[1]1588年、宗派をルター派からカルヴァン派に改宗した。

子女

1579年ユーリヒ=クレーフェ=ベルク公ヴィルヘルム5世の娘マグダレーネと結婚、9人の子を儲けた。この結婚に先立ち、1574年に兄のフィリップ・ルートヴィヒがマグダレーネの姉アンナと結婚している。

脚注

  1. ^ Volker Press: Johann I. von Zweibrücken. In: Neue Deutsche Biographie (NDB). Band 10, Duncker & Humblot, Berlin 1974, ISBN 3-428-00191-5, S. 513 f. (電子テキスト版).
先代
ヴォルフガング
プファルツ=ツヴァイブリュッケン公
1569年 - 1604年
次代
ヨハン2世



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