ヨハン・ゲオルク4世 (ザクセン選帝侯)とは? わかりやすく解説

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ヨハン・ゲオルク4世 (ザクセン選帝侯)

(ヨハン・ゲオルク4世 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/18 03:19 UTC 版)

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ヨハン・ゲオルク4世
Johann Georg IV.
ザクセン選帝侯
在位 1691年9月12日 - 1694年4月27日

出生 (1668-10-18) 1668年10月18日
神聖ローマ帝国
ザクセン選帝侯領ドレスデン
死去 (1694-04-27) 1694年4月27日(25歳没)
神聖ローマ帝国
ザクセン選帝侯領、ドレスデン
埋葬 神聖ローマ帝国
ザクセン選帝侯領フライベルク大聖堂
配偶者 エレオノーレ・フォン・ザクセン=アイゼナハ
家名 ヴェッティン家アルブレヒト系
父親 ヨハン・ゲオルク3世
母親 アンナ・ソフィー・ア・ダンマーク
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ヨハン・ゲオルク4世

ヨハン・ゲオルク4世Johann Georg IV., 1668年10月18日 - 1694年4月27日)は、ザクセン選帝侯(在位:1691年 - 1694年)。ヨハン・ゲオルク3世の長男で、フリードリヒ・アウグスト1世ポーランド王アウグスト2世)の兄。

人物

1668年10月18日、ヨハン・ゲオルク3世とその妃であったデンマークフレデリク3世の王女アンナ・ソフィーの間の長男としてドレスデンで生まれた。1692年4月17日にザクセン=アイゼナハ公ヨハン・ゲオルク1世の娘エレオノーレブランデンブルク=アンスバッハ辺境伯ヨハン・フリードリヒの未亡人で、イギリス王兼ハノーファー選帝侯ジョージ2世キャロラインの母)とライプツィヒで結婚したが、彼女は1692年、1693年に続けて流産し、子供は生まれなかった。

1691年に父の死去によって選帝侯となったヨハン・ゲオルク4世は、大臣であったハンス・アダム・フォン・ショーニング(Hans Adam von Schoning, 1641年 - 1696年)の助言に従い、ブランデンブルク選帝侯フリードリヒ3世(後のプロイセン王フリードリヒ1世)との同盟を強化し、神聖ローマ皇帝レオポルト1世からの独立志向を強めた。しかしこれはレオポルト1世との対立を招き、1692年7月にショーニングは皇帝軍によって捕らえられた。ヨハン・ゲオルク4世はショーニングを解放させることはできなかったが、レオポルト1世はヨハン・ゲオルク4世と和解することに成功した。

1694年4月27日にヨハン・ゲオルク4世は天然痘のためドレスデンで急死し、選帝侯位は弟のフリードリヒ・アウグスト1世が嗣いだ。

逸話

ヨハン・ゲオルク4世には、自身の即位後に公表し、1693年にロホリッツ伯爵に叙した愛人マグダレーナ・ジビュレ・フォン・ナイトシュッツ夫人(Magdalene Sibylle von Neidschutz, ? - 1694年)がいる。 マグダレーナは、実は父ゲオルク3世と愛妾ウルズラ・フォン・ハウクヴィッツとの間に生まれたゲオルク4世の異母妹だとされ、両親は二人を別れさせようとしていたという。彼女との間には、ヴィルヘルミーネ・マリアという娘が生まれている。マグダレーナは1694年に天然痘で死亡し、その後1月も待たずヨハン・ゲオルク4世も天然痘で死去している。二人の遺児ヴィルヘルミーネ・マリアは、フリードリヒ・アウグスト1世によって養育された。


先代:
ヨハン・ゲオルク3世
ザクセン選帝侯
1691年 - 1694年
次代:
フリードリヒ・アウグスト1世



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