ユグルタ捕囚
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 09:43 UTC 版)
「ルキウス・コルネリウス・スッラ」の記事における「ユグルタ捕囚」の解説
ボックスはすっかりスッラを信用し、マリウスにスッラを交渉役に寄越すよう求めたた。スッラが護衛と共に出発すると、ボックスの息子ウォルックスの出迎えを受けた。その後偵察でユグルタが小勢で待ち伏せしていることが分かったため、他の者たちはウォルックスを疑ったが、スッラは彼を信じ、ユグルタの迷いを見切って大胆に行進し難を逃れた。スッラはボックスと交渉し、平和を望むならユグルタを引き渡すしかないと説得した。ボックスはしたたかな人間で、最後までどちらに付くべきか悩んだが、結局ユグルタをスッラに引き渡した。 ユグルタを捕らられえたことが知らされると、マリウスはローマ不在のまま翌年の執政官に選出され、紀元前104年1月1日に凱旋した。凱旋式を行ったのはマリウスであったが、彼を妬むものたちはスッラの功績を高く評価し、マリウスを苛つかせた。尊大なスッラは指輪(ローマ貴族は指輪を身分証にしていた)に「ボックスが送ったユグルタの受取人はスッラ」と刻んで功績を誇示した。
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