ヤンネ・ヴァータイネンとは? わかりやすく解説

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ヤンネ・ヴァータイネン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/11 21:21 UTC 版)

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  • ヤンネ・バータイネン
ヤンネ・ヴァータイネン
基本情報
フルネーム Janne Henrik Väätäinen
誕生日 (1975-03-06) 1975年3月6日(47歳)
出身地  フィンランド
 フィンランドクオピオ
身長 185cm
選手情報
クラブ Puijon Hiihtoseura
ワールドカップ
シーズン 1992年–2001年
獲得メダル
ノルディックスキージュニア世界選手権
1992 Vuokatti 団体
1992 Reit im Winkl 団体
最終更新日:2012年12月22日
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ヤンネ・ヴァータイネン(Janne Henrik Väätäinen、1975年3月6日 - )は、フィンランドクオピオ出身の元スキージャンプ選手、指導者。現役時代は1990年代に国際大会で活躍、引退後はフィンランドナショナルチームのヘッドコーチを務めた後、日本でもコーチを務めた。2020年4月からフィンランドナショナルチームのヘッドコーチに復帰した[1]

プロフィール

1991年のノルディックスキージュニア世界選手権で国際大会にデビュー、団体で銅メダルを獲得した[2]

翌1992年の2月29日にラハティスキージャンプ・ワールドカップにデビューし、44位に終わったが3月に行われたジュニア世界選手権では団体で金メダルを獲得した[3]

1994年のリレハンメルオリンピック代表となりノーマルヒル30位、ライモ・ユリプリヤンネ・アホネンヤニ・ソイニネンと組んだ団体では5位となった。

同年のスキーフライング世界選手権では14位、3月26日のノーマルヒルでは自己初のトップテンとなる8位となった。このシーズンはワールドカップ総合自己最高の18位となった。

1996年2月28日に地元クオピオでのノーマルヒルでワールドカップ自己最高の3位となった。

2000-2001シーズンを最後に現役を引退した。

2002年からフィンランドBチームコーチ、2004年からAチームのアシスタントコーチを務め2008年4月からトミ・ニクネンの後任としてナショナルチームヘッドコーチに就任した。2010年4月に退任、 同年夏から日本山田大起のパーソナルコーチ[4]、 2011年からは日本土屋ホームスキー部コーチ、日本のナショナルチームのコーチを務めている[5][6][7][8]

2020年4月から前任のラウリ・ハコラに代わりフィンランドナショナルチームヘッドコーチに就任した(ハコラはアシスタントコーチに就任)。

「スキージャンパーの歌」で有名なオーストリアのバンドChristoph und Lolloが「ヤンネ・ヴァータイネンの歌」を発表している[9]

脚注

外部リンク




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