ムハンマド・アブデルアズィーズとは? わかりやすく解説

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ムハンマド・アブデルアズィーズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/20 15:16 UTC 版)

ムハンマド・アブデルアズィーズ
محمد عبد العزيز

ムハンマド・アブデルアズィーズ

任期 1976年8月30日2016年5月31日
首相 アブデルカーデル・ターレブ・オマル

出生 (1947-08-17) 1947年8月17日
モロッコマラケシュ
死去 (2016-05-31) 2016年5月31日(68歳没)
アルジェリアティンドゥフ
政党 ポリサリオ戦線

ムハンマド・アブデルアズィーズアラビア語: محمد عبد العزيز muḥammad ʿabd al-ʿazīz, スペイン語: Mohamed Abdelaziz1947年8月17日 - 2016年5月31日)は西サハラ亡命政権であるサハラ・アラブ民主共和国政治家ポリサリオ戦線書記長。1976年より同国革命指導評議会議長、1982年より没するまで大統領(元首として第2代)を務めた。

経歴

1947年8月17日モロッコマラケシュで生まれる。その後、西サハラモーリタニア・南部モロッコなどに移り住む。父親は王立サハラ問題諮問評議会英語版メンバー。

1970年代にモロッコの大学に通い、1973年に西サハラ住民により結成されたポリサリオ戦線に加わる。1976年8月30日にサハラ・アラブ民主共和国の革命指導評議会議長(元首格)となる。その後、同国の憲法草案者となり、憲法を初施行した。1982年より役職名が大統領に変更された。

アブデルアズィーズはアルジェリアティンドゥフ難民キャンプにサハラ・アラブ民主共和国政府の本部を置き、そこで政治活動を取り仕切った。闘病生活の末に大統領在任中のまま、2016年5月31日に68歳で死去[1]

政策

アブデルアズィーズがサハラ・アラブ民主共和国元首に就任以後、国家第一に政策を推し進めていた。また、サハラ・アラブ民主共和国の社会体制を自由民主主義に転換し、従来のアラブ諸国の社会体制から大きく転換している。これにより、アメリカ合衆国ヨーロッパ連合からの評価は、比較的高い。また、モロッコ側と協議するなど、西サハラ問題に積極的に取り組んだ。

脚注

  1. ^ “Sahrawis, officials pay tribute to Western Sahara leader”. ロイター. (2016年6月4日). https://www.reuters.com/article/us-algeria-westernsahara/sahrawis-officials-pay-tribute-to-western-sahara-leader-idUSKCN0YQ09X 2018年2月14日閲覧。 

関連項目


公職
先代
マハフード・アリー・ベイバー英語版
革命評議会議長
サハラ・アラブ民主共和国大統領
1982年まで革命指導評議会議長
第2代:1976 - 2016
次代
ハトリ・アッドウ英語版
(代行)



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