ムスターグ・タワーとは? わかりやすく解説

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ムスターグ・タワー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/09 13:52 UTC 版)

ムスターグ・タワー
ムスターグ・タワー(2004年7月)
標高 7276 m
所在地 パキスタン
位置 北緯35度49分36秒 東経76度21分42秒 / 北緯35.82667度 東経76.36167度 / 35.82667; 76.36167座標: 北緯35度49分36秒 東経76度21分42秒 / 北緯35.82667度 東経76.36167度 / 35.82667; 76.36167
山系 カラコルム山脈
初登頂 1956年
ムスターグ・
タワー
プロジェクト 山
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ムスターグ・タワー(Muztagh Tower)は、パキスタンカラコルム山脈のバルトロ山群にあるK2の西南西15km、パキスタン中国の国境にある。標高7,276m。

概要

ムスターグとはトルコ語で「氷雪の山」という意味。「タワー」の名の通り、まるで人工的に作られたのような形状が特徴。1909年のK2遠征に参加したイタリアの登山家ヴィットリオ・セッライタリア語版バルトロ氷河上部(ムスターグ・タワーの南東側)から撮影した姿は、双耳峰の片方が完全に隠れていたため、尖塔のような形と思われていた。

登山史

  • 1956年 - イギリス隊とフランス隊の初登頂争いとなり、わずか五日の差でイギリス隊に凱歌があがった。
    • 7月6日 - イギリス隊のジョン・ハートッグ、ジョー・ブラウン英語版トム・ペイティ英語版イアン・マクノート=デイヴィス英語版の四人が西面の北西稜から初登頂。
    • 7月11日 - 初登頂の五日後、フランス隊のギド・マニョーヌフランス語版ロベール・パラゴフランス語版、アンドレ・コンタミヌ、ポール・ケラーフランス語版の四人が南東陵から第二登に成功。
  • 1984年 - イギリス隊のマル・ダフ、サンディ・アランらによって第三登。
  • 2008年 - スロベニア隊が北東壁ルートの初登頂を目指したが、強風のため断念。バブル・コジョックが遭難死。
  • 2012年8月25日 - ロシア隊のセルゲイ・ニロフ、ディミトリ・ゴロヴチェンコらにより北東壁ルートで初登頂。
ヴィットリオ・セッラによる写真(1909年)



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