ムガル帝国終焉の地
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/08 13:54 UTC 版)
「フマーユーン廟」の記事における「ムガル帝国終焉の地」の解説
インドの歴史において、フマーユーン廟は、奇しくもムガル帝国終焉の舞台となった。1857年にはじまる反英蜂起、いわゆるインド大反乱の際、シパーヒーたちに擁立されたムガル朝最後の皇帝バハードゥル・シャー2世は、3人の王子とともにこの墓廟に避難した。しかし、皇帝はウィリアム・ハドソンの率いるイギリス軍によって捕縛され、裁判にかけられて帝位を剥奪された。翌1858年、バハードゥル・シャー2世は、年金をあてがわれた上で英領ビルマの首府ラングーン(現ヤンゴン)に追放された。
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