ミハイル・エリョミンとは? わかりやすく解説

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ミハイル・エリョミン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/10/28 10:09 UTC 版)

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ミハイル・エリョミン
名前
本名 ミハイル・ヴァシーリエヴィチ・エリョミン
ロシア語 Михаил Васильевич Ерёмин
基本情報
国籍 ソビエト連邦
生年月日 (1968-06-17) 1968年6月17日
出身地 ゼレノグラード
没年月日 (1991-06-30) 1991年6月30日(23歳没)
身長 194cm
選手情報
ポジション GK
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1986-1988 PFC CSKAモスクワ 22 (0)
1988-1989 FCスパルタク・モスクワ 0 (0)
1989-1991 PFC CSKAモスクワ 30 (0)
代表歴
1990 ソビエト連邦 1 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ミハイル・ヴァシーリエヴィチ・エリョミンロシア語: Михаил Васильевич Ерёмин1968年6月17日 - 1991年6月30日)は、モスクワゼレノグラード出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはGK

経歴

1968年、現ロシアのゼレノグラードにて生まれた。ゼレノグラードにあるスポーツ学校でサッカーを始め、サッカークラブのPFC CSKAモスクワのユースチームにも所属していた。1986年にCSKAモスクワのトップチームでデビューを飾った。1988年にはFCスパルタク・モスクワへ移籍をするもリーグ戦では出場する機会はなく、1989年にCSKAモスクワに復帰。1990年8月29日、ルーマニア代表との親善試合でソビエト代表デビューを果たした。

事故

1991年6月23日、USSRカップ決勝のFCトルペド・モスクワ戦(3-2)ではスタメンで出場して優勝を成し遂げた。試合後ロッカールームに戻りチームメートらと共にシャンパンを掛け合うなどした。翌日の午前五時、友人が運転する車で自宅に帰る途中、タイヤがパンクして制御不能となりバスに激突。対向車線に投げ出され意識不明の重体に陥り集中治療室に運ばれ懸命な治療が施されていたが、6月30日の夜に短い生涯を閉じた。23歳没。ゼレノグラード墓地に埋葬されている。

タイトル

クラブ

参考文献




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