マッシリア降伏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/21 16:58 UTC 版)
カエサル軍による陸からの攻撃はマッシリアの抵抗により依然として難渋、マッシリアは偽装降伏を仕掛け、カエサル軍に生じた隙を見つけて、攻城塔等の攻城兵器を破壊する等の抵抗を続けたが、マッシリアはカエサル派による包囲で兵站が完全に寸断されたことにより食糧が過度の窮乏状態に陥ったことに加えて、伝染病が蔓延したことにより、カエサル派への降伏を申し出た。なお、ドミティウスはマッシリアの降伏を事前に察知して、ギリシアに転戦していたポンペイウスの許へと逃れていった。 10月25日、ヒスパニアで元老院派を下したカエサルはマッシリアへ到着して、マッシリアの降伏を認めた。市民の奴隷化等は行わなかったものの、その自治権を大きく剥奪、自軍の2個大隊をマッシリアへ駐留させると共に、マッシリア市民の武装を解除した。 カエサルはマッシリアを出立した後はローマ、ブルンディシウム(現:ブリンディジ)を経て、ギリシアで兵を集めていたポンペイウス率いる元老院派の本軍との戦いに臨むこととなった。
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