マシュー・ステュアート (第4代レノックス伯)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > マシュー・ステュアート (第4代レノックス伯)の意味・解説 

マシュー・ステュアート (第4代レノックス伯)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/06 15:31 UTC 版)

マシュー・スチュワート
Matthew Stewart
第4代レノックス伯
ダーンリー卿ヘンリー・ステュアートを追悼するヘンリーの遺児ジェームズ6世、父マシュー、母マーガレット、弟チャールズ
在位 1526年 - 1571年

出生 (1516-09-21) 1516年9月21日
死去 (1571-09-04) 1571年9月4日(54歳没)
配偶者 マーガレット・ダグラス
子女 ヘンリー
チャールズ
家名 ステュアート・オブ・ダーンリー家
父親 第3代レノックス伯ジョン・ステュアート英語版
母親 エリザベス・スチュワート
テンプレートを表示

第4代レノックス伯英語版マシュー・ステュアートMatthew Stewart,4th Earl of Lennox, 1516年9月21日 - 1571年9月4日)は、スコットランドの貴族。スコットランド女王メアリー1世の2番目の夫ヘンリー・ステュアートの父で、スコットランド王兼イングランドジェームズ6世/1世の祖父にあたる。

生涯

第3代レノックス伯ジョン・ステュアート英語版の息子でステュアート家の一族であるが、王家の直系子孫ではなく、ロバート2世の祖父・第5代王室執事長ジェームズ・ステュアート (enの弟に始まる分家ステュアート・オブ・ダーンリー家英語版の末裔である。ただし、父方の祖母エリザベス・ハミルトンがジェームズ2世の娘メアリーを母とすることから、スコットランドの有力な王位継承権者であった。

1544年にマーガレット・ダグラスと結婚したが、彼女はイングランド王ヘンリー8世の姉マーガレット・テューダーを母とするジェームズ5世の異父妹で、イングランドの有力な王位継承権者であった。マーガレット・ダグラスとの間には、ジェームズ5世の娘であるメアリー1世と結婚したダーンリー卿ヘンリーレノックス伯チャールズが生まれている。

長男ヘンリーとメアリー1世は1565年に結婚し、翌1566年に一子ジェームズが生まれた。しかし1567年、ヘンリーは変死を遂げ、メアリーは廃位されてジェームズが王位に就いた。メアリーの庶兄マリ伯ジェームズ・ステュアート摂政となったが、1570年に暗殺された。次いで摂政となったのが王の祖父であるレノックス伯マシューであったが、翌1571年に殺害された。

官職
先代
初代マリ伯爵
スコットランド摂政英語版
1570年 - 1571年
次代
第18代マー伯爵
スコットランドの爵位
先代
ジョン・ステュアート英語版
レノックス伯爵英語版
1526年 - 1571年
次代
王位に統合



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「マシュー・ステュアート (第4代レノックス伯)」の関連用語

マシュー・ステュアート (第4代レノックス伯)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



マシュー・ステュアート (第4代レノックス伯)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのマシュー・ステュアート (第4代レノックス伯) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS