マウリヤ朝のプシャミトラ王
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/08 15:40 UTC 版)
「プシャミトラ」の記事における「マウリヤ朝のプシャミトラ王」の解説
仏典の記録ではプシャミトラをマウリヤ朝最後の王とするものがある。これは後世の仏教徒が、プシャミトラの仏教弾圧とマウリヤ朝の滅亡を結びつけ、仏の教えを蔑ろにしたが故にマウリヤ朝が滅びたという物語が構成された際に、プシャミトラに「仏教に敵対したために身を滅ぼした王」という役付けがなされたためであると考えられる これらの記録によればマウリヤ朝最後のプシャミトラはアショーカの名声をねたみ、バラモンに唆されて全国の仏僧達を虐殺して回ったが、仏教を信仰する夜叉によってその軍団もろとも岩山の下敷きにされて死にマウリヤ朝が滅亡したという。 しかし、考古学的な発見によってマウリヤ朝の最後の王はブリハドラタとするのが正しいことがわかっている。
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