ポーリー・アヤラ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/09/02 08:57 UTC 版)
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基本情報 | |
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本名 | Paul Anthony Ayala |
階級 | バンタム級 |
身長 | 166cm |
リーチ | 168cm |
国籍 | ![]() |
誕生日 | 1970年4月22日(48歳) |
出身地 | テキサス州フォートワース |
スタイル | サウスポー |
プロボクシング戦績 | |
総試合数 | 38 |
勝ち | 35 |
KO勝ち | 12 |
敗け | 3 |
ポーリー・アヤラ(Paulie Ayala、1970年4月22日 - )は、アメリカ合衆国の男性プロボクサー。テキサス州フォートワース出身。元WBA世界バンタム級王者。
来歴
1992年11月27日、プロデビュー。
1995年6月20日、無敗のままNABF北米バンタム級王座を獲得。以後、5度防衛。
1998年8月23日、WBC世界バンタム級王者辰吉丈一郎に指名挑戦者として挑戦。6回、アヤラのバッティングで辰吉が左眉付近をカットし、アヤラに減点1が与えられた。ドクターチェック後、試合は再開されたが、7回開始直後に試合はストップされ0-3の負傷判定負けで王座獲得に失敗。デビュー以来の連勝は25でストップした[文献 1]。
1999年6月26日、WBA世界バンタム級王者ジョニー・タピアに挑戦し、3-0の判定勝ちで王座を獲得。タピアにプロキャリア初黒星をつけた。この試合はリングマガジン ファイト・オブ・ザ・イヤーに選出され、同年のリングマガジン ファイター・オブ・ザ・イヤーにも選出された。
同王座を2度防衛後の2000年10月7日にIBA世界フェザー級王座決定戦でタピアと124ポンドのキャッチウェイトで再戦し、判定勝ち。
2001年3月30日、WBA世界バンタム級王座防衛戦でウーゴ・ディアンソに判定勝ちし、3度目の防衛に成功するも、同王座は返上した。
2002年11月16日、WBC世界フェザー級王座決定戦でエリック・モラレスと対戦し、判定負けで王座獲得ならず。
2004年6月19日、マルコ・アントニオ・バレラと対戦し、10回TKO負け。この試合を最後に引退した。
獲得タイトル
参考文献
- ボクシング・マガジン編集部 『日本プロボクシング史 世界タイトルマッチで見る50年』 ベースボール・マガジン社、2002年
- ^ 168頁下段
関連項目
外部リンク
- ポーリー・アヤラの戦績 - BoxRec(英語)
前王者 ジョニー・タピア |
WBA世界バンタム級王者 1999年6月26日 - 2001年(返上) |
次王者 エイディ・モヤ |
固有名詞の分類
- ポーリー・アヤラのページへのリンク