ボリス・ミハイロフ (アイスホッケー)とは? わかりやすく解説

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ボリス・ミハイロフ (アイスホッケー)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/21 16:03 UTC 版)

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ボリス・ミハイロフ

2012年
生誕 (1944-10-06) 1944年10月6日(77歳)
ソビエト連邦
ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国モスクワ
身長
体重
5 ft 10 in (1.78 m)
169 lb (77 kg; 12 st 1 lb)
ポジション 右ウィンガー
シュート 左打ち
所属クラブ 1962-1965 HCクリスタル・サラトフ
1965-1967 HC ロコモティフ・モスクワ
1967-1981  HC CSKAモスクワ
代表 ソビエト連邦
現役期間 1962年 – 1981年
2000年殿堂入り
獲得メダル
男子 アイスホッケー
ソビエト連邦
オリンピック
1972
1976
1980

ボリス・ペトロヴィチ・ミハイロフロシア語: Борис Петрович Михайлов 1944年10月6日 - )は、ソビエト連邦モスクワ出身の元アイスホッケー選手。ポジションは右ウィング。

1962年から1965年までHCクリスタル・サラトフで、1965年から1967年まではロコモティフ・モスクワで、1967年から1981年まではHC CSKAモスクワでプレイした[1]。1972年の札幌オリンピック、1976年のインスブルックオリンピックの金メダリスト。1980年のレイクプラシッド五輪銀メダリスト。引退後アイスホッケーロシア代表及びアイスホッケースイス代表のコーチを務めた。

経歴

1970年代、ソ連代表の第1ラインの右ウィングとして左ウィングのワレリー・ハルラモフ、センターのウラジーミル・ペトロフと共にプレイした。ソビエトリーグで通算572試合に出場、428得点、224アシスト、合計652ポイントを挙げた[2]。ミハイロフの国内リーグ通算428得点は36年間誰も破ることができなかったが、2016年9月13日にセルゲイ・モジャーキンによってついに破られた[3]

アイスホッケーソビエト連邦代表ロシア語版としては14年間プレイし、そのほとんどをキャプテンとして過ごした[2]。207得点を挙げており、これはアレクサンドル・マリツェフの213得点に次いで歴代2位の記録である[4]。1972年の札幌オリンピック、1976年のインスブルックオリンピックで金メダル、1969年から1979年まで出場したアイスホッケー世界選手権では11回中8度(1969年、1970年、1971年、1973年、1974年、1975年、1978年、1979年)の優勝[1]、ソビエト連邦国内リーグ(ソビエト・チャンピオンシップリーグ)で9度優勝を果たした。

引退試合には14000人の観衆が押しかけてチームメートが彼を肩車してコートを回る間、スタンディングオベーションが続いた。

2000年に国際アイスホッケー連盟の殿堂入りを果たした[1]。また、レーニン勲章をもらっている[2]

詳細情報

表彰

記録

  • ソビエトアイスホッケーリーグ得点王: 1975年, 1976年, 1978年
  • ソビエトアイスホッケーオールスター出場 8回
  • アイスホッケー世界選手権最多ポイント王: 1974年
  • アイスホッケー世界選手権得点王: 1977年, 1978年

脚注

関連項目

外部リンク

先代:
ヘルムート・バルデリス
ソビエトアイスホッケーMVP
1978年, 1979年
次代:
セルゲイ・マカロフ



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